2008年05月11日

エコキャップ→葛藤→解決(?)

「あの〜、よかったら、こっちのフロアでもペットボトルのキャップを集めてもらえませんか?」
「ほぇ? 何の話?」

職場で面倒をみている女からそんな相談を受けたのが、二週間ほど前。てっきりペットボトルキャップを使って絵を描くとか、そんなわけのわからない趣味でも始めたのか思ったら、どうやら違うらしい。

「キャップをリサイクル業者に買ってもらって、それを寄付するっていう運動があって〜」

エコキャップという運動が最近ちょっと話題になっているらしい。簡単にまとめると、ペットボトルのキャップ800個を渡す行為が、途上国のポリオワクチン1本分の寄付をすることに相当する、というボランティアだ。

うちのフロアではペットボトル本体は分別しているが、キャップは不燃物として各種プラスチックと一緒くたに捨てている。とりあえずはこれを分別して捨てるようにするだけなので、それ自体には何の問題もない。

「ん〜‥‥まぁ、別にいいんだけど‥‥」

最終的には協力することに了承はしたものの、正直あまり気は進まなかった。その場で断らなかったのも、その頼んできたやつが普段から本当に心の優しい良いやつであり、そいつの良心からの行動に協力しないわけにはいかないと思っただけの話だ。

何が納得いかないのか。それは要するに、それは本当に目的と手段が一致しているのか? という点につきる。

そもそも今日本で言われている「エコ」という言葉全体に欺瞞を感じる。エコロジーが叫ばれ、数々の活動が行われるようになってもう十数年が経過し、技術革新によって電化製品単体の消費電力は徐々に減少を続け、職場でもISO14001 認可をとるなどの環境対策が進んでいるにもかかわらず、やはり日本の消費電量は増加する一方だ。

リサイクルもきな臭い。たとえば紙を回収して再生紙にするといっても、丈夫に作った紙をもう一度溶かして再生紙として成立させるには、最初から紙を作るより遙かに多くのエネルギー(燃料)が必要だ。人口的に作り出すことができる樹木という資源を少々節約するために、作り出すことのできない化石燃料などから作り出したエネルギーを何倍も使用するなんてのは理屈に合わない。

ペットボトルだって同様だ。ペットボトルを溶かして再度ペットボトルにする、または化学繊維として再利用するなんて技術もあるにはあるが、(現時点では)最初からペットボトルを作るよりエネルギーを浪費する。そもそも燃えるゴミとして出しているゴミも焼却が間に合わずに、燃やさずに埋めるしかないといった現状。紙もプラスチックも本当に環境のことを考えるのであれば、とにかく使用量を減らすしかない。しかし、これもやはり増加する一方だという話。

それでも、いつかちゃんとしたリサイクル技術が確立されたときに対応するためにも、ゴミを分別する習慣を浸透させておくこと自体には意義がある。自分がとりあえず不平は言わずにおとなしくゴミの分別に従っているのは、どうせゴミの総量は変わらないという点を考えれば、やらないよりはやったほうがいいだろう、という部分で納得しているからだ。(とはいえ、そのために本来1台走ればすむはずの収集車が2台走ることになっていたら・・とか考え出すとキリがないのだけれども)

話を戻すと、このエコキャップという運動にはもっとはっきりとした矛盾、悪くいうと欺瞞・偽善の匂いを感じてしまう。何故かというと、その運動の結果が一度「金額」という、ごまかしようのない「数字」に変換されてしまうからだ。その点が、たとえば海外に出て井戸を掘るとか、身近なところで山のゴミを拾うとか、その類のボランティアとは明確に違う。

どう言い繕っても、ペットボトル800個を集めてしかるべきところに送るという「労働」の対価が20円とされているという現実に変わりはない。仮に自分一人をエンジニアとして働かせたい場合にクライアントが支払う工数に換算すれば、ほんの数十秒ぶんにしか当たらない対価である。ごくぶっちゃけて言ってしまえば、そんなことに使っている労力と時間を他の経済活動にあてて、その対価を現金で寄付したほうが何百倍も効率がいいのは誰が見たって明らかだ。

もちろん、そういう問題じゃなくて気持ちであるとか、本来ゴミになるもので・・・という言い分は十分にわかっているつもりだ。しかし、やはり

提供して頂きましたキャップの数は944万個強になり、リサイクル事業者様に売却し236,060円が売却益となりました。


あえて「たかだか」という言葉を使わせてもらう。大の大人がよってたかって1000万個近いキャップを集め、汗を流し、運搬に化石燃料を消費して、得た寄付金がたかだか 236,060円か。これに金額以上の価値を見出そうとするのはただの偽善だ。

本当に世界の子供たちにワクチンを届けたいと思っているのなら、残念ながら、この方法はあまりにも非効率だと言わざるを得ない。その現実から目を背ける限り、所詮は金持ちの戯言であり自己満足であり、盲目的に自分の行動を正義と信じるのであれば、その姿は醜悪だ。

とはいえ。

とはいえ、現在ただ捨てているものが少しでも人の役にたつ可能性があれば・・・という気持ちもあり。費用対効果の話も、仕事中の自分で換算するからおかしくなるのであって、自分がボ〜ッとしている時間をちょっとまわしているだけと考えれば・・・という考え方もでき。

ニヒリストを気取って多くの人々の善意を頭ごなしに否定するほど立派な人間でもない。そんな人たちに対して「お前のしていることは無駄の塊で、ただの自己満足で偽善だ」と嘲笑するような真似はできない。

うちのオフィス担当の清掃業者の人に、こういうことをすることになったのでこれは回収しないでくださいということを伝えたら

「いいことだね〜。がんばってね!」

とたいそう感激され、複雑な気分で笑うしかなかった。やっぱり「善行」だと思うよな。でも、本当にそうか?

一日数十個程度ぽちぽちと溜まっていくキャップを眺めながら、そんなことを悶々と考えていた。

なんとか、せめて自分がしていることだけでも正当化して納得する方法がないか。で、考えに考えて、ようやく一つの結論に至った。

「現金の寄付をして、このキャップ集めはそのついでにやっていることにしよう」

世界の子どもにワクチンを 日本委員会のサイトを見てみたところ、今時は便利っつーかなんつーか、クレジットカード引き落としで寄付ができるらしい。これは基本的に日本人という世界最高レベルの人件費を一切消費しない分、街頭募金なんかより遙かに効率的だ。僅少ではあるが、これで月2000円ずつ寄付がされるように登録することにした。

これにより、途上国の子供たちにワクチンを送りたいという自分の気持ちが実行力を持つことになり、言い換えれば自分がそういう気持ちを持っていることの証明になる。

キャップを集めるという行為は現金の寄付に対する+αであると捉える。仮にこの行為により発生する非効率さ、または環境負荷を考慮に入れたとしても、月あたま2000円に相当するということはないだろうから、ただ俺個人のやり方が平均的に多少非効率になるだけで、善意が返って害になる→偽善であるということにもならない。

なんとなく自分を詭弁で煙に巻いているような不思議な感じは残るが、とりあえずこれで納得することにしたので万事解決(?)

めでたしめでたし。



ん? 面倒くさいやつだって? 俺もそう思うよ。
posted by VOT at 19:25| 東京 🌁| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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