2007年02月21日

陰謀論かどうかはどうでもよろしい

ただ今ネット引きこもり中ですが、少しだけ言いたいことがあったので珍しく更新。

松浦晋也さんのブログで、「自転車の車道通行禁止問題」(参考)と解釈されていた文書について疋田智さんなど自転車愛好家たちが何故そこまでキーキーいう必要があるのかについて、非常に良心的にまとめられているのを見かけました。

長〜い文章ですが目を通して、とりあえず納得。(もともとの自分の解釈通り)
で、そのままコメントやトラバを見てみると・・・ああ、まだ陰謀論がどうの深読みのしすぎだの言ってる人がいる。こんなに懇切丁寧に説明してくれているのに。

まぁいいや、それに対しても結局反論は難しいです。水掛け論にしかならないし。文書を書いた人の意図がどうであったのかを、読み手がそれぞれの解釈で議論したところで何の意味もありません。文学じゃないんだからさ。
ただ、それなら、もう一つ付け加えたいこととして、極論すると、陰謀論かどうかは別に大した問題ではないってことは言えるかと思います。

仮にその読み方がどんなにひねくれた見方であったとしても、文書それ自体にしか論理を求めることができない状態で、「こうも読める」っていうのは、それ自体がもう問題なんだってことも理解していただきたい。


私は日頃技術屋さんとして、プログラムの仕様書や設計書に関わっております。頼りになるのがその仕様書しかない状態で、「なんか曖昧だけど、こういう書き方だったら多分こういう意味だろうなぁ」なんて解釈でプログラムを作ったら、後でえらい目に遭うのは必至です。

運良く解釈が当たってる場合も多々ありますが、その場合読み手がとる正しい手段は、曖昧な点を指摘して文書の記述を改めてもらうこと。そういった地道なやりとりの積み重ね以外、人と人の間で論理的なコミュニケーションを成立させる方法はありません。まともな技術者なら、そういう指摘にいちいち「常識で考えればわかるだろう」なんて不満は漏らしません。

自分でドキュメントを作る場合も、「○○の場合は○○です。これは○○って意味じゃないですよ」という注釈をできるだけ入れるようにして、読み手の誤読を先回りして防ぐ努力をします。なので、逆に言うと、それをしていない文書に関しては、書き手が誤読される可能性に気づいていないか、わざと曖昧に書いているか、どちらかであろうという解釈します。技術書の場合、後者はまずありえないですけどね・・・(報告書とかではあるなぁ)


今回の件もそれに似ている面があります。百歩譲って、もともとの警察庁の提言に、車道通行禁止なんて意図はなかったと仮定しても、解釈の仕方によっては結果的にそうなる危険性を秘めているのであれば、それを指摘してそういう意図ではない、という文言をはっきりと盛り込んでもらう必要があります。だから、そういう結果が出たということ、それ自体はとにかく喜ばしいことの一つであると言えます。

誤解だったら誤解だったで別に良いんですよ。その結果を、「痛くもない腹を探られて、警察庁ちゃんが可哀想!」みたいに感じている人もいるようですが、逆ですね。

「紛らわしい文章を書くな、ボケ!」

これが正解。日頃、技術書であったり法律であったり契約書であったりと、結局書いてあることが全て、というシビアな文章のやりとりをしている人なら、普通に同意していただけるでしょう。
posted by VOT at 11:35| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 自転車雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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自転車の車道通行禁止問題
Excerpt: >> 自分でドキュメントを作る場合も、「○○の場合は○○です。これは○○って意味じゃないですよ」という注釈をできるだけ入れるようにして、読み手の誤読を先回りして防ぐ努力をします。なの..
Weblog: bak_a_monoの日記
Tracked: 2007-05-26 00:27
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